現職候補が銃撃された長崎市長選挙。
死去した候補に代わって立候補したのは娘婿だった。
心情的には分からないでもない。
理屈の上でも、
対立候補は当然、現職と反対の政策を掲げて戦ったはずであり、
誰かが現職の後継者として立たなければならなかった。
しかし、それが血縁者、直接には血の繋がりはないが、
娘婿という立場しか裏づけを持たない人間が、
敢えて立たなければならない謂われはない。
自ら前市長の「後継者」であるとアピールしていたが、
それは血筋としての後継者に過ぎず、政治的には何も継承していない。
政策を等しくして今まで現職候補を支えてきた、
同一会派の政治家などならともかく、
知識も経験もなく、政策すら持たない一民間人が準備もなく立候補した。
市長という仕事をなめているとしか思えず、その見識を疑わざるを得ない。
せめて、対立候補に一期を任せて、その市政に対する批判を味方に付け、
その間に自分は勉強して支持者を広げていき、
然る後に前市長の遺志を継ぐ者として名乗り出るべきではなかったか。
結果として、市民の良識が示された形とはなったが、
思いの他、この娘婿が票を集めたのに驚いた。
同情票も多くあったのであろうが、
期日前投票により無効となった前市長の得票分が一部でも流れたならば、
予断を許さないほどの票差であった。
いくら立派な市長だったからといって、
その家族というだけで市長職が務まるのか。
長崎市長とは、その程度の役職なのか。
これだもの、
政治はいつまでも一部の特権的で世襲的な政治屋に独占され続けるわけだ。
国民の大多数を占める実生活者の為になる政治が行われないとすれば、
それは実生活者自身のせいでもある。
自分の身近に目を向けてみても、
私はこの選挙という活動そのものに茶番を感じる。
職場や労組、宗教などのしがらみで投票を決めることの愚劣さは、
今まで記事にしてきた通りだが、
その他にも街頭で繰り広げられる選挙カーの騒音。
ただ候補者の名前を連呼し、宜しくお願いしますとがなり立てて去っていく。
あんな迷惑行為をされて、それでその候補への投票を決める人間がいるのか。
たまたま握手したから、この候補に入れておくか、という人間がいるのか。
いないのであれば、無意味でくだらない活動だし、
いるのであれば、そんな機縁で左右される政治とはまったくの笑い草である。
地方議会議員も政党の推薦という後ろ盾を得れば、
その政党を支持する組織票を見込むことができる。
その反面、その政党に批判的な有権者の票を失うことにもなる。
したがって、推薦候補の勝敗がしばしば中央の政局に影響を与える。
こうして、地方選が与野党の代理戦争めいてくる。
しかし、直接の党議拘束を受ける国会議員ならばいざ知らず、
地方議会というものは、本来その地方固有の問題を解決すべき場所だ。
地方行政の抱える課題というものは必ずしも中央の政局とリンクしなかろうし、
地域によっては与野党が逆転しているところなどザラにある。
これまでの中央集権的な国政ならばともかく、
地方分権、財源の委譲を謳う以上、
地方政治は中央志向的な政党から距離を置くべき時期が来ているのではないか。
- 2007/04/24(火)|
- 雑草
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